大田区の沿岸部の大森・糀谷地域では、海苔養殖以前は畑作を中心とした農村でした。江戸中期に海苔養殖が始まると、母屋周辺の敷地や農地は広い海苔乾し場に変わっていきました。羽田地域は、江戸幕府に海産物を献上する猟師町で、漁村としての恩恵を受けて栄えました。船着き場周辺には共同で船の帆や網を乾す場所があり、その周りに漁師の家屋が集まっていました。人々の暮らしや家屋はこれらの地場産業と結びついており、特徴をもった街並みが広がっていました。
昭和38年春、港湾整備計画のために大田区の海苔養殖と沿岸漁業は終わりました。そして、海辺の街は急速に湾岸の埋め立てやインフラ整備が進められ、街の景観は大きく変わりました。
今回の写真展では、「漁」が盛んだったころの海辺の街の風景や人々の日常が写された写真を展示します。写真を通して当時の暮らしや街の風景の変化を振り返ります。