海辺の風物を描く-大田区所蔵の資料から-
東京の海苔養殖は、江戸時代中期に品川から大森にかけての沿岸部で盛んになり、その後、昭和37年12月に漁業権放棄が決定するまでの約300年続きました。大田区沿岸で養殖された海苔は「浅草海苔」と称され、江戸の代表的な産物として知られました。かつての品川から大森にかけての東海道沿いは海岸線近くにあったことから、この道を行き交う人々の目には海苔養殖風景が珍しく映ったかもしれません。海辺での海苔養殖は冬の江戸東京の風物詩として、浮世絵・版画・絵画の題材にしばしば取り上げられてきました。
そこで、本企画展では、大田区が所蔵する浮世絵や版画などの中から、海苔養殖を中心に大森とその周辺の海辺の風物を描いた作品を展示します。また、海苔養殖以外にも大田区周辺の海沿いの魅力ある風景を描いた作品も紹介します。
なお、作品の劣化を避けるため主に複製資料を展示します。
※4月26日~5月30日まで新型コロナウイルス感染防止のため臨時休館しました。
写真展「東京オリンピックに沸いたあの頃の海辺」
昭和30年代、東京は戦後復興期を経て高度経済成長期を迎えました。当時は昭和39年のオリンピックの開催を目前にし、交通網などのインフラの整備、公共マナーの向上運動など、街の風景や人々の生活が大きく変わった時代でした。急速な生活水準の高まりとアジア初のオリンピックに人々の心は高揚し、日本全体が沸き立っていたことでしょう。
その一方で、大田区の沿岸域には江戸時代から海苔養殖や漁業を行ってきた街が広がり、そこで暮らす人々の日常がありました。しかし、昭和37(1962)年に港湾整備のための漁業権放棄が決定し、東京内湾での漁業の歴史に終止符が打たれたのです。そして、同時期に進められたオリンピックの交通網整備に伴い、羽田空港を有する大田区周辺の海辺の風景は一変していきました。
この展示では、東京オリンピックの開催前後に撮影された大田区の海辺の暮らしの写真や、オリンピックを契機に急速に変貌した地域の風景写真を展示します。写真を通して、当時の大田区沿岸部の暮らしぶりや街の風景の変化などを振り返ります。
#おおた夏のミュージアムめぐり
大田区にある4つの博物館・美術館が、オリンピックの開催時期に合わせて企画展・特別展を開催します。夏休みに大田区のミュージアムめぐりを楽しんでください。
展覧会の感想やフォトスポットで撮影した写真など、「#おおた夏のミュージアムめぐり」のハッシュタグを付けてSNSなどでシェアしてくださいね!
特別展 川瀬巴水 ―版画で旅する日本の風景―
前期 7月17日(土)~8月15日(日)
後期 8月19日(木)~9月20日(月)
企画展 葛飾北斎「冨嶽三十六景」×川端龍子の会場芸術
7月17日(土)~8月15日(日)
企画展「所用品から見る海舟の姿」
7月2日(金)~9月12日(日)
スタンプラリー
期間中に4館をめぐってスタンプを集めよう!先着順で記念品を差し上げます。
期間:7月17日(土)~8月31日(火)
注)大田区立龍子記念館は8月15日(日)で終了です
▼参加方法▼
フォトスポット
期間中に4館に記念撮影できるフォトスポットを設置します。
各施設のフォトスポットのイメージ写真は下記のリンク先をご覧ください。
のりのり君と一緒に写真を撮ろう!!
企画展「海苔漁師の仕事着 前掛け編」
大田区では江戸時代中期より海苔養殖が行われてきました。
海苔の養殖は水を含んだ生海苔を扱います。例えば、海での海苔採りや加工作業の海苔付けといった作業の際には、衣類の濡れや汚れを防ぐため、ボータなどの上着の上から前掛けをしめました。
前掛けは腰から膝を覆う長さの布で、古くはマエダレと呼ばれました。厚手で丈夫な布製のものは、衣服の汚れを防ぎ、労働作業中の事故から身を守る仕事着として用いられました。商店が店名や屋号などを染めた前掛けを取引先に配るようになると、様々な業種で広く使われるようになりました。これは海苔に関する商いも同様で、当館には海苔養殖の資材屋や機械屋、海苔問屋などの店名が染められたものが保存されています。
今回の企画展では、海苔づくりの仕事着として使われた前掛けに着目し、その役割を見つめなおします。